「赤道」って知っていますか?あと「青地」とか、聞いてもよくわからないですよね。
戦後間もない世代の人たちは、「赤線」とか「青線」とか連想するかもしれません。それって俗にいう「風俗街」の通称だったのです。今はもちろんそのような線はなく、赤道などももちろん違います。
なお画像は国土交通省サイト地籍調査の概要から引用させていただきました。
赤道とは?
赤道って、その通り赤い道なんです。
国土交通省のサイトに「公図」土地台帳附属地図というのが、掲載されています。そう、昔の登記所の公図は税金を取るための図面だったのです。だからみんな税金を払いたくないので、自分の土地以外は「俺のものじゃねえ」と主張してその部分が赤く塗られたり、青く塗られたりしたものです。赤く塗られたのは「赤道」と呼ばれ、昔は馬が通れればよかったので、幅が6尺(訳1.8m)でした。これに対して青色に塗られた部分、これは河川を示します。「用悪水路」と言って、通常3尺(0.9m)です。ほかに地番が書かれていないやや緑がかった土地があります。これって青地と言って田んぼのあぜ道など誰も税金を払いたくないところや沼など使い道のないところが該当し、所有者は大蔵省になっています。また、青線に該当する河川は通常大蔵省(今の財務省)から市町村に「無代下付」と言って、ただでくれてやる的な文書がある場合が多いです。なんかえらそーに大蔵省はいつも市町村に上から目線のようです。でもいーぱいある全国の青地を各地の財務局が管理するのは難しいので、なんかあったら対応してくれるというみたいです。なお、青地の中には道路と並行についている、下法(のり)などもあり、これは道路の持ち主の市町村のものになります。
自分の前の道は?
では自分の前の道はどうなの?とみてみると、必ずしも道路法上の道路とは限りません。まったくの私有地を共有して建築基準法上の「位置指定道路」や赤道では幅が狭いので中心線から2m下がったところまで道路として下げている「2項道路」(建築基準法第42条第2項のみなし道路)などがあります。基本的には接道する道路は幅4m以上なくてはいけないようです。
ではどうやって4mを確認するのか?
家を建てたり、売買したりするのに自分の家の前の道との境はどこなのか、調べないといけません。これって自分でできるわけじゃないのに、アクションは通常原因者がやらなくてはなかなか進みません。市町村の道路管理部署(横浜市では各区に土木事務所があります)に行って道水路の境界調査の依頼をすることになるのですが、お役所仕事です、なかなか進みません。まー役所も年間に使える測量費用があるので、なかなか進まないのと、権利者を確認しなくちゃいけなかったり遅らせる理由もたくさんあります。
最大の問題は離れた相手
道って実際歩いてみるとくねくねしていたりするものですが、幅ってあんまり変わりません。もともと馬が引く荷車の幅があればよいので1.8m幅は変わらいのです。
で、役所に境界の確認をしてもらう時も道を挟んだ相手側と境界の確認になるんです。だから相手方が「俺の家はここまでが俺の土地で、道との境はここ」というとそこから1.8m幅を取ると、自分の考えている道境と違ってくることがあります。その場合境界調査は「不調」と言ってできなかったことになります。役所としては、税金の測量費を使うわけですから、「できませんでした」ではなかなか説明がつかないので、「事前に関係する方の協力をもらってください」となるわけです。
道は折れまでが大事
先日のブログの地籍調査の内容で書きましたが、道ってそれぞれの家ごとに折れ曲がっているわけではないんです。ある程度直線になっていて、何件か先の家まで道との境界の折れがない場合は境界調査の参加者はもっと増えてきます。その方たちの承諾をすべてそろえなくてはいけないので、なかなか大変です。また地籍調査の場合は役所が中心になって説明会や土地所有者の確認をやってくれましたが、境界調査は主役が持ち主になりがちです。だって役所はなんも困らないですから。
まー昭和時代には、地元の偉い(教師ではない)先生とかいて、話をまとめることもあり、そういった先生は役所にも話は通しやすかったようですが、今の時代なかなか難しいです。
道水路境界調査図を必ず見ましょう
不動産を考えるときには、業者さんに見せてもらったり、道路管理部署に行ったりして必ず「道水路境界調査図」を確認したほうがいいです。現地にも境界標(石でできていたり、鋳物だったり)がありますが、動いていないという保証はありません。
岡山の駅弁「後楽園のお弁当」を買ってきました

近所のスーパーで駅弁フェアをやっていましたので買ってきました。
瀬戸大橋線ができたころ、快速で岡山から坂出に向かった記憶が思い起こされます。その頃は、それのまでの宇高連絡船に変わり、橋で行けるというのでうきうきして乗り、弁当を広げました。

橋の支柱が時々視界に入り、やや気になりましたが、海の上を渡る電車の上でお弁当を食べた記憶は今も残っています。
当時は駅弁は1,000円以上はしなかったものです。プラスティックのお茶と一緒でそれぐらいでした。
